ファンの自慢話を超えた瞬間

            ―BSマンガ夜話「宮谷一彦・肉弾時代」(2000.4.13) 
 今まで見ることのできなかった「BSマンガ夜話」を、最近になって友人に録画をしてもらうことになりました。一応、注文を出したのは「がきデカ」と「陰陽師」だけだったのですが、友人はサービスで残りの「アストロ球団」と「肉弾時代」も録画してくれたました。そして、それぞれに見所のある「マンガ夜話」ではあるのですが、今回のシリーズ中で一番感激したのは、実は宮谷一彦「肉弾時代」だったのでした。

 もちろん、宮谷一彦については、かろうじて名前を聞いている程度しか知りません。60年代後半からマニアックな支持を受け、一時低迷した後、70年代後半に「肉弾時代」で最後の勝負をかけるが、支持を得られることの ないまま現在に至る、という経歴を聞くと、知らなくてあたりまえ、むしろ、録ってもらう必要のない回の筆頭にあげてもいいようなもの、というイメージでありました。そして、そんな経歴すらも、私自身、番組の冒頭で語られて初めて知ったことでした

 それは、レギュラーで一番若い岡田斗司夫もほとんど同じ状況だったようで、いしかわじゅんが「ほんとに好きだった。いろんな雑誌を追いかけて全部読んだんだよ」と「少女の目をして」語ったり、夏目房之介が「宮谷一彦について書いているのは私が一番ページ数が多いはずだ」と熱くなってみたり、村上知彦が「学生時代にアシスタントになろうとして断られた」と告白するのとは、ずいぶん好対照でした。

 60年代末から70年のはじめにかけて「同時代」な人にとっては、(それも嗅覚が鋭かった人にとっては)「参加しなくてはいけないような」特別な存在であったらしい宮谷一彦が、とにかくカッコよかったとか、カケアミやトーンの使い方など 現代マンガの画期的な表現技法を数多く開発したとか、70年代前半のリアルな生活感覚を形にできる数少ない作家だった、というようなことは、興味深いながらも何も知らないまま紹介されるものにとっては何かくいたりないものが残っていました。

 「末期の肉弾時代では本当の宮谷一彦の魅力を語ることができない」とか、「メッセージ性が強いにもかかわらずかっこよかった。はっぴいえんどの「風街ろまん」のジャケットに宮谷が写真のような都会の風景を描いているのだが、当時のはっぴいえんどが先鋭的でかっこいい存在だったのと同様に、はっぴいえんどからイラストを依頼されるような時代の先端をいく作家だった」とか、「前衛と娯楽を行きつ戻りつしつつ、1972-3年に日本の社会が変わっていくことへ抵抗しながら、結局メジャーになりきれなかった人だ」とかそんな話を熱く語られても、まだ何かを語り落としている気がしているのでした。

 そして、番組も終わりにかかろうとするころ、一世代下であるせいかそれまで場違いな空振りを続けていた岡田がストレートな、そして、(私自身も気づかずにいた)本当に聞きたかった質問をします。

  「ここまで画期的な技法を発明し、カリスマ的存在だった人が、1976年に新作も描いているのに、なぜ今は消   えてしまったんですか。」

 いしかわは述懐します。 「うまく時代にシンクロ出来なかった。デビューからまんがマニアの支持をすごく受け、それに意を強くした宮谷はどんどん走っていった。一生懸命ついていったんだけど、ある日見送らざるを得なく なる時が来てしまった。マニアの自分さえそうなのだから、世間もついていけなくなっていた。それでも走っていくような人だった。」
 夏目も続けます。「宮谷は単なる技術革新ではなく、テレビを通してドキュメンタリーな映像が我々の日常になった時代を反映していた。リアルの意味が変わったことを的確にとらえ、フィクションの世界にドキュメンタリーの手法を持ちこんだことに意義かある。ところが、さらに時代が変わっていったために、その時代と刺し違えてしまった。大友克洋の描いてみせた白っぽい世界のリアルが出た時に、あっこっちだ、と思ってしまった。」

  「その<時代が切り替わった>ということは、同時に夏目さんたちが見捨てたってことでもあるんですか。」

 岡田の言葉に、本当に困ってしまう三人(いや、司会の大月を含めた四人。「うーん」とうまい言葉がなかなか出てきません。愛読者による好意的分析を越えた瞬間でした。

 だから、マンガ夜話は見なくちゃいけない。


  すぺしゃるさんくす・・・たろうさん

  NHK・BSマンガ夜話公式サイト

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