スーパー戦隊の色彩学
(最終更新 2014.10.19)

スーパー戦隊シリーズの戦士の色は、原色優先の方針があることについては、今さら言うまでもないであろう。
赤・青・黄の三色は、色彩論では長らく「三原色」の扱いを受けてきたことを反映して、いずれも皆勤もしくは準皆勤。緑の冷遇は、青と黄の混合色のように思われているところから来ているのであろう。無彩色である白と黒は色々と扱いにくいというのも容易に理解できる。
その中で不思議なのが桃色である。
混合色でありながら、あざやかな色は他にある。橙や紫など。虹の色にも入っておらず、特に強烈な印象を与えるということもない桃色が、なぜ38作品中で28回も採用されているのだろうか。
「簡単なことだ。ピンクは女の色だからだ」と即答する人もいるであろう。戦いというのは元来男の仕事である。そこに女が入ってきた以上、「私は女です」というはっきりとした目印をつけておく必要がある、それがピンクだというわけである。
そういう面は確かにある。ただ、それだけではない。桃色がよく使われるのは、色彩学的な理由があるのである。

平面に五色のタイルを敷き詰めて、最も美しく鮮やかに見えるのは、どんな色を選んだ時だろうか。
彩度の高い色から選びたい、しかし似た色があるのも好ましくない。正解は赤・青・黄・緑・桃。意外な感じがするであろう。実は桃色というのは結構主要な色なのである。この組み合わせが『ゴレンジャー』で採用され、歴代スーパー戦隊で、最も多く使用されているのは根拠がある。
戦隊シリーズにおいて桃色が重用されているのは、何も不思議なことはない。不思議なのは、戦隊シリーズ以外のところで、なぜ桃色がこんなにも使わないのかである。国旗に使われていない色だというのは知られた話ではあるが、国旗どころか旗に使われること自体が極めて少ない。州や県の旗、あるいは政治運動や企業・大学のシンボルカラーに用いられるというのも滅多にない。ビリヤードの球は、4番の紫があまりにも視認性が低いので、最近は桃色が使われるようにもなった。しかしそんなことは最初から気づけという話である。
スーパー戦隊シリーズにおける、色の果たす役割については議論の種は尽きない。ピンクの重用の他、戦隊の最も中心となるメンバーはなぜ常にレッドなのか、イエローはなぜいつまでたっても「力持ち」というイメージをなぜ払拭できないのか、等々。それらに対して、色彩学を用いて攻略を試みようというのがこの稿の目的である。
ちなみにこれを書いている人間は、色彩学に関する一般向けの書籍を数冊読んだだけの素人であって、ひょっとして専門家から見れば無茶苦茶なことを書いているかもしれない。最初に断っておく。
まずは色覚についての簡単なおさらいを。
色には三つの要素がある。色相(色あい)・彩度(鮮やかさ)・明度(明るさ)である。なぜ三つなのかというと、人間は三種類の錐体細胞を持つからである。四種類の錐体細胞を持つ生物にとっては色は四次元空間として存在し、二種類しか持っていない生物にとっては二次元空間となって現れる。

その三種類の錐体細胞、つまりL・M・S(それぞれ長・中・短の意味)が受けた刺激が数値となって脳へ入力され処理される。その三つの値が、Lに偏っていればそれは赤っぽい色とみなされる。Mだと緑、Sだと青。赤・緑・青が光の三原色と言われているのもここに由来する。これが色相である。そしてその偏り方が、大きく偏っていればそれは鮮やかな色となり、三つとも同じような値であれば、くすんだ色になる。これが彩度。そして三つの値の合計が明度である。最も明度の高い色が白、最も低い色が黒となる。
もう少し具体的に言うと、すべての色というのは白+黒+純色、という形で表される。L・M・Sすべての錐体が感じる量は白成分、すべて感じない量は黒成分、それ以外が純色成分である。L・M・SのうちSが最下位の場合はちょっとややこしく、L・Mの両方が感じる量が黄色になる。これは進化のなごりと言われている。人類の祖先は二種類の錐体細胞しか持っておらず、LとMが最近になって分かれたことが関係しているらしい。とにかく、その純色の部分は黄+赤、黄+緑、青+赤、青+緑の四パターンで表されることになる。

つまり、赤か緑かという軸と、青か黄かという軸の二つがあり、それが直交している。その原点から円を描いてできるのが色相環である。虹の色は全部この円周上に乗る。そしてさらにこの二つの軸に直交する、白か黒かという軸がある。上の頂点に白、下の頂点に黒、色相環を底面にして、双円錐ができあがる。これが色立体である。上下の頂点を結んだ線上に並ぶのが無彩色(白〜灰〜黒)であり、ここから離れて円周に近づくほど彩度は高くなる。そして上に行くほど明度は高くなる。
すべての色は赤・青・緑・黄・白・黒の六色の混合として認識される。たとえば茶色であれば赤+黄+黒であり、水色であれば白+青である。赤や青はこれ以上分解できない。つまりこの六色が「原色」というわけである。ただし白と黒は除外して四原色という言い方をすることもある。
この色立体について注意すべきことは、これは人間の「認識」に基づいたものであって、「感覚」はまた別だということである。この立体では、赤・黄・緑・青の四原色すべてが同じ明るさ、同じ鮮やかさを持った色みたいになっている。だがこの四つの原色の中では黄の明るさは抜きん出ているし、緑や青は、赤ほどには鮮やかではない。そういうのを考慮に入れて立体を作ると、黄はもっと上に行くし、赤は外側に突き出る。また真上から見ても四原色が丁度90度の間隔で並んだりしない。こんなきれいな双円錐型ではなく、もっと歪んだ形の物体になる。見たことのある人も多いであろう。

なぜこんなことになるのか。錐体細胞の刺激値は、自由に数字がとれるわけではない。単一波長の光に対しても、どれか一つの錐体細胞だけが反応するということはない。原色の青と呼ばれる光は、LとMが同値でSがそれより上回っているというだけの色であって、LとMが0でSが1というわけではないのである(1を上限とする)。単一波長光ですらこうである。現実に我々が目にする光は、たくさんの波長の光が混ざったものであり、鮮やかさはさらに減る。「原色の青」というのは、人間の目が感じる中で最も純粋で鮮やかな青という意味であって、白や黒が一切混ざっていない色というわけではない。
四原色の中では黄が一番明るいのは、二種類の錐体細胞が刺激を受けて感じる光だからである。非常に分かりやすい理屈である。そして彩度では赤が抜きん出ているのは、Lだけが刺激を受けてMとSはほぼ0、という波長の光が存在し、緑や青には存在しないからである。
おさらいはここまで。さて、「最も美しい五色の組み合わせ」である。このうちの四色は赤・青・緑・黄で確定である。人間が感じる「色の鮮やかさ」は、すべてこの四色の組み合わせから成り立っているからである。では残りの一色はなにか。条件は二つ。一つは、その色自体が鮮やかであること。もう一つは、赤・青・緑・黄とできるだけ距離のある色だということである。
たとえば橙などは、いかにも鮮やかな色ではあるが、五人中三人が赤・橙・黄だと、色の感じが似すぎる。できるだけ似ていない色から選ぶのであれば黒と白だが、無彩色なんか入れても色の鮮やかさに全く貢献しない。ではどうするか。
理論的に考えれば、鮮やかな色というのはL大M小S小、L大M大S小、L小M大S小、L小M大S大、L小M小S大、L大M小S大の六種類があるはずで、それが全部揃っていればカラフルな印象になると予想される。それぞれ順番に、赤・黄・緑・青緑・青・紫系統の色になる。このうち青緑は除外してもよかろう。緑の原色・青の原色自体があまり彩度が高くない以上、ここにもう一色割り込ませるような余裕はない。とすると五番目の色は消去法で紫か。しかし橙や青緑よりはましとはいうものの、やはり赤・紫・青と三人並ぶのはやはり似通った印象を与えてしまう。
だったらそこで白を少し混ぜてはどうか。色の彩度は少し落ちてしまうが、色の似通った印象は減る。ただあまり混ぜすぎるのも良くないだろう。いったい最適値はどのへんにあるのか?
色彩に限ったことではなくて、人間の感覚というのは刺激に対して徐々に鈍くなるという法則がある。10の刺激を受けた時に人間が感じる感覚と、10の刺激が20の刺激へと変化した際に人間が感じる感覚の変化とを比べると、後者のほうが小さくなる(10とか20とかいうのは物理的な量)。20から30への変化だとさらに小さくなる。
今求めている第五の色というのは、赤とも青とも距離がなくてはならないし、自身の彩度のためには、白とも距離がなくてはならない。そして赤との距離、青との距離、白との距離の合計がもっとも大きく感じられるのは、その三つの距離が等しいときである。

それは薄紫色なのだろうか。だが赤・青・白が形成するのは不等辺三角形であり、最も長い辺は赤白間である。三つの色からの等距離点は、三つの色を当分に混ぜた色ではない。赤と白に比べて青の混じる量は少ない。つまりそれが桃色である。桃色というと、赤と白を混ぜてできる色だと思っている人も多いだろうが、実は違うのである。青が少し入っている。
1975年に『秘密戦隊ゴレンジャー』が制作された際に、色彩学に詳しいスタッフがいたかどうかは分からない。ただ、デザインの現場における長年の経験から、最も美しい五色の組み合わせは赤・青・黄・桃・緑であるということくらいは把握していたのではなかろうか。その色自身に派手さはないが、他の派手な色と組み合わせることによって、他を目立たせ自らも一層美しく輝く。そういった種類の色の中で、もっとも美しい色が桃色である。白のように、他の色を引き立てる役に徹するというわけでもない。
そしてそれこそが、五人組のヒーローの唯一の女性に求められる役割とも一致していた。
一般的に、白といえば正義の色、黒といえば悪の色である。戦隊シリーズにおいても、敵の組織は「黒十字軍」「ブラックマグマ」「シャドーライン」などという名前からも分かるように、たいてい黒をシンボルにしている。そしてヒーローは、黒と白との間に立ちふさがる防波堤といったところか。戦隊のカラーリングが原色ベースなのも、彩度の高さと戦士の力強さとがイメージ的に合致するからであろう。戦隊においてナンバーワン戦士が常にレッドなのも、赤がすべての色の中で、最も彩度の高い色だからである。
そして明度の高さはというと、正義の心に比例しているように思われる。白に近いと純粋に正義を信じ、黒に近いと真面目さに欠ける戦士といった趣がある。戦士の色で主に使われる色だと、だいたい次のようになる(「だいたい」と書いたのは、色にも幅があるからである)。
彩度:赤>黄>緑>青>桃>白・黒 (力強さ)
明度:白>桃>黄>赤>緑>青>黒 (純真さ)
さてピンクである。明度は高くて彩度は低い(ただし緑や青に比べて、極端に低いわけではない)。力強さという点では仲間に劣るが、正義を愛する心は誰よりも強い戦士というイメージに、これほどピッタリと合う色も他になかった。そしてそれこそがモモレンジャーに担わされた役割でもあった。

『ゴレンジャー』以降もシリーズは続き、五色の組み合わせも様々なパターンが試された。黒が有力な色として台頭すると、外されることが多いのは緑であった。カラーバランスという観点からは、桃を外したほうがいいと思うが(オリンピックカラーに一致する)、それでも桃色が残り続けたのは、女戦士に似つかわしい他の色が存在しなかったという事情の反映でもあったのだろう。
桃色以外の色が女戦士に使われることはある。二番目に多いのが黄色、そして青と白がそれに続く。これらに共通しているのは、すべて明度が高い色だということである。青じたいは別に明度の高い色ではないが、女のときだけ薄い青になる。それはそれで不自然という感じがする。白だとあまりにも弱々しい。
桃以外で初めて女戦士に使われた色が黄なのは、主要な色の中で、明度の高い色だったからであろう。以後男にも女にも使われてきたが、2006年以降は男イエローは出ていない。黄=女の色というイメージを定着させたいという東映の狙いがあるのは確実なところだが、多分それが成功することはないだろう。なぜなら黄は彩度も非常に高い色だからである。女でパワータイプはない。明度も彩度も高い色にぴったりなのは「気はやさしくて力持ち」。まさにキレンジャーである。
女だから明度の高い色でなければいけないという固定観念の方をこそ変えるべきではないだろうか。女だから素直で純真な性格をしていなければならないと決めつける理由はない。というか、実際そうでない女戦士はいる。緑や黒が似合う女性がいたって全然おかしくはない。女である以上どうしても明度の高い色に限るというのであれば、女二人制などやめて、今後永久に紅一点ピンクを続けるべきではないのか。

その桃色にしたって、戦隊によっては妙に色が濃く、マゼンタと呼んだほうがよさそうな色がマスクやスーツに使われることがある。彩度があまりにも低いと弱そうに見えるという判断なのだろうが、だったら何のための桃色なのか。そういえば青も、実際のマスクやスーツは藍色が使われることが多い(ただし女を除く)。原色の青よりも藍色のほうが彩度は高い。しかし彩度の高い色も低い色もあるからこそ、五色そろったときに美しくなるのである。彩度の高い色ばかりだと、各自が個性を主張するだけして全体の調和を考えていないチームみたいではないか。
スーパー戦隊における戦士の色とイメージに関しては、語り残したことは多々あるが、ひとまずこの稿を終える。だいたい明度と彩度を使って解釈できるからである。色彩学に関する知識を持つことは、戦隊シリーズを見る楽しみをさらに増やすことを保証しよう。自分でオリジナル戦隊を考える時とかにも当然役に立つ。
ただ、ブラックについてだけはよく分からないということについては白状しておきたい。そもそも黒をシンボルとしていただく正義の戦士が存在するなどということ自体、色彩学的にどう解釈していいのかよく分からない。彩度が0の割には、弱いというイメージはない。今後の課題にすべきであろうか。