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(2012年11月22日、メールボックスの中身とアドレス帳を間違って全部消してしまって、不義理なことになってます。すいません)
子供の頃テレビを見ていて憧れを抱いていたお姉さんを、大人になってから再び見た時、昔と同じ感情を抱くことは、まずない。
スーパー戦隊シリーズのヒロインもまたそのような存在である。
強くて、かっこよくて、地球の平和を守るために戦い続けた、勇敢な女戦士だったお姉さん。それが今見ると、こんなにも小さくて弱そうな女の子だったのだろうか?
男に比べてずっともろく、傷つきやすい肉体しか持っていない、そんな少女が敵の残虐な刃に向かって恐れず立ち向かっていくのを見るたび、見ていて胸が張り裂けそうになる。
なぜこんな少女を戦わせているのか?
男どもは一体何をやっているのか?
戦いは男の仕事であるということを、子供の頃は知らなかったし、また知っていてもあまり実感を伴って理解することはなかった。今なら分かる。我々の住んでいる社会には、男には男の役割が、女には女の役割が存在するということを。女を守って戦うのが男の義務であるということを。
子供の頃に小さな胸をときめかせた、自分たちを守って戦ってくれたお姉さんなどというものは、現実にはありうるはずのない、たわいのない夢想にちがいなかった。
だが。
それとは別に、割り切れない感情がわき上がってくるのはなぜか。
敵の凶暴な魔の手がヒロインの身体を打ちすえ、地面にたたきつけるたび、苦痛の悲鳴が響き渡る。女のくせに戦場にでしゃばってくるから、こんなことになるのだ。女なんだから女らしくしていられないのか。しかしそう思うと同時に、「がんばって!」と心の中で声援を送ってしまっている自分もまたいることに気づく。そして歯を食いしばって立ち上がり、その華奢な体からあらん限りの力をふりしぼって立ちあがる、そんな彼女を見てワクワクと感じる胸の高鳴りは、幼い頃に感じたのと全く変わらぬままだ。
大人には大人用の小説やマンガや映画がある。そこでは女性キャラクターはたいてい、男に対して素直で従順で控え目で、自分は女なのだから男に守ってもらうのが当たり前と心得ることになっている。そしてそういう女性こそが魅力的なのであると、我々は子供の頃から繰り返し繰り返し、親や学校から教育を受けてきた。男の子も、女の子も。
だがそれにもかかわらず、そんな女性たちよりも、特撮ヒロインたちのほうが、ずっとずっとまぶしく輝いて見えるのはなぜなのだろうか。
たわいのない子供向け番組だということは承知している。それでもなお、戦う女の子に対して、年をとった今になってなお一種のリアリティを感じるのはどうしたことか。
そしてそんな彼女に、一体戦ってほしいと思っているのか戦ってほしくないと思っているのか、さっぱり訳が分からなくなって途方に暮れている自分を発見するのである。
何かにつけ性別役割分業の見直しだの、ジェンダー平等だのを唱えるフェミニズムも、幼児番組のヒロイン像が、人々の心の片隅に生き続けていることについては、真面目に議論しようとしない。
果たして戦いは本当に男の仕事なのか。
2010.4.1 えの(管理人)
2005.4.6 ファイル置き場として開設
2005.11.6 「花咲くゴーグルピンク」として発足
2010.4.1 「女には向かない職業(仮)」に改称
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