スーパー戦隊シリーズの視聴率(改訂版)
―― 打ち切りの危機は本当にあったのか
(最終更新 2014.10.3)
右図はスーパー戦隊シリーズの作品ごとの視聴率をグラフにしたものである(関東地方、ビデオリサーチ調べ)。
両方とも同じものだが、放映された時間帯に関する情報を加えるだけで、かなり印象が違ってくる(ちなみにグラフでは省略しているが、『電磁戦隊メガレンジャー』(1997年)は全51話中最初の7話のみ金曜夕方)。視聴率という数字は、何曜日の何時に放映されるかということによって大きな影響を受けるものであり、単純に数字だけを比較して人気の高低を判断することはできない、ということが実感できるであろう。
インターネットという文明の利器のおかげで、過去のテレビ番組がどれだけの視聴率をとったのか、我々は手軽に知ることができるようになった。ただし、数字は簡単にダウンロードできても、数字の正しい見方をダウンロードするのはそれほど簡単なことではない。別にここで統計学についての専門的な講義を始めたいわけではない。ただ、視聴率という概念を扱うための必要最小限の知識というものがある。それは決して難しい話ではない。常識的な思考力さえ持っていれば、簡単に理解できるようなことばかりである。しかしそんな簡単な話さえ理解できない人も、世の中にはいるらしい。
彼らは、単に数字だけ見て番組の人気のあるなしが分かったような気になり、そして上のグラフでV字になっているところを見て「19XX年に戦隊シリーズは打ち切りの危機にあった」などと思い込んで噂をばらまいたりする。ネット上のことだけではない。それを鵜呑みにしたプロの物書きが、商業出版物にやっぱりいいかげんな記事を執筆したりする。困ったことである。
打ち切りの危機は本当にあったのだろうか。
なかった、とは言わない。実際、東映のプロデューサーが雑誌のインタビューやツイッターで、あの時は戦隊は本当に大変な時期でありまして……、などと述べたりする。だが、この手の記事は鵜呑みにはできない。その「大変な時期」というのは大抵、しゃべってる本人がシリーズを担当した、その直前の時期だからである。そして自分はその危機を救った男ということになっている。
嘘をついているわけではないのだろう。だが、肝心なのはその「危機」が、どの程度の危機だったかということである。単に企画会議の席上で、「打ち切りも選択肢の一つとして考えたい」という発言が一回出ただけなのかもしれない。あるいは戦隊を打ち切って次に何を始めるか、相当具体的なところまで話が進行していたのかもしれない。本当に危機的状況にあったと主張するのであれば、その証拠として当時の企画会議の議事録でも引っ張りだしてくるしかないが、当然そんなものは社外秘である。だから結局言ったもの勝ちになる。
別に悪気があるわけではないのだろう。人間には誰しも記憶違いというものがある。そして、それは大抵の場合、自分の功績を大きく見せ、失敗を小さく見せようという方向へと働く。それは仕方がない。だからこそ戦隊の歴史を学ぼうと思う者は、資料に対して批判的に臨み、真実を見極める目を持つ必要があるのである。単に視聴率の数字だけ見て打ち切りがあったなかったなどと言うのは論外である。
ところがファン心理としても、自分の好きな作品が、戦隊シリーズの救世主的存在だと言われれば悪い気はしない。そして批判的精神もかなぐり捨てて、噂の拡散に手を貸したりする。
そもそも「打ち切り」という言葉について、現在非常に間違ったイメージが流布されている。
スーパー戦隊シリーズは1979年以降は、途切れることなく三十年以上もの間ずっと放映が続いている。これは日本テレビ史上でも有数の出来事であるし、このような偉大なる記録を今なお継続中の超人気シリーズも、打ち切り寸前にまで追い詰められた時期があった、という噂はファンの心にさざ波を立たせる。よっぽどのことがあったに違いない、と。
それが間違いなのである。
近年、もっとも影響力を減らしたメディアといえば、やはりテレビであろう。原因はやはりインターネットの普及であろうが、テレビ全体の視聴率は下がる一方である。だからテレビ局は血眼になって、人気のとれそうなコンテンツを探し、人気が出れば必死で引き伸ばしを図る。
しかし以前はそうではなかった。テレビそのものが「娯楽の王者」として君臨していた時代においては、人気が十分にあるシリーズが、切実な理由もなく打ち切りになることがあったのである。他にも放映したいコンテンツは山ほどあったのだから。
例に挙げて分かりやすいのは、なんといっても仮面ライダーシリーズである。昭和時代、シリーズには三度の中断があった。だが三度とも、続けようと思えば続けられた。それだけの人気はあったのである。なぜ中断になったかというと、「仮面ライダー」というブランドにそれだけの重みがあったからである。軽々しく「仮面ライダー」を名乗る作品を作ってはならない。無理して続けなくても、他に作るものはいくらでもあった。それに対して平成時代は、一度も中断せずに続いている。続けられるだけの人気がある以上、続けるのが当たり前だと考えられているからである。もちろん、ライダーを打ち切って他に何かを始めて、ライダー以上の利益を上げられる作品なんて簡単に思いつかない、という事情が背後にある。
スーパー戦隊シリーズの歴史を詳しく見ていく時、どうも本当にシリーズを中断する計画があったのではないか、と思わせるような時期というのは確かにある。だが、それは様々な資料を総合的に考慮した結果分かることであって、単に視聴率の数字だけ見て判断できるようなものではない。
さて、私がこれから書こうとしていることはすべて、書籍やネットで調べたら簡単に得られるような情報に基づいたものである。流出した内部資料などというものは、一切持っていない。それでも、インターネットで拾える情報に、あと視聴率の正しい見方に関するほんの少しの知識を組み合わせるだけで、嘘を嘘と見抜くぐらいの力は身につくのである。
述べるのは、戦隊シリーズの危機として噂にされることの最も多い三つの時期である。
一つ目は1989年に『高速戦隊ターボレンジャー』の時間帯が変更されるなど、東映特撮の再編が行なわれた時のことである。この時は、確かに戦隊シリーズの中断もまた選択肢の一つとしてあったことは間違いない。ただしそれを「打ち切りの危機」というのは大げさに過ぎる。
二つ目は1997年の『電磁戦隊メガレンジャー』で日曜の朝へと時間帯を移した時のことである。これを危機などという言葉で呼ぶのは完全な勘違いである。
そして三つ目は現在である。シリーズの視聴率は、過去最低を更新し、なお下降傾向にある。それは本当にシリーズの危機と呼ぶべき事態なのか。そしてその過程で、最近急激に猖獗を極めるようになった視聴率不要論についても触れることになるであろう。