(最終更新 2014.10.5)
1.東映特撮「1989年の再編」は何を意味したのか
スーパー戦隊の歴史において、前の作品から視聴率を最も大きく落としたのが『ジャッカー電撃隊』(1977年)である。この時は本当に打ち切りをくらった。二番目が『高速戦隊ターボレンジャー』(1989年)である。だからこの時も打ち切りの危機だったに違いない、というのも安易な発想である。
この時期の視聴率の急落は、明らかに時間帯変更の影響である。移動の影響を見るために、九月以前と十月以降というふうに前期後期で分けてグラフを作ってみたのが右図である。裏番組である『らんま1/2 熱闘編』の視聴率も参考として表した。なお戦隊シリーズは普通、二月とか三月とかいう半端な時期に始まるので、前期は三十話前後、後期は二十話前後と不均等な切り方になることに注意。『ターボレンジャー』は前年に比べて、前期も落ちてはいるが後期の落ち方はさらにすさまじい。
そもそも時間帯を移動するという行為自体が、視聴率獲得競争において不利に働く。視聴者に生活リズムの変更を迫るからである。その上『ターボレンジャー』は、より視聴率の取りにくい時間帯への移動であることは最初から明らかであった。
たった三十分早くなっただけじゃないかと思うかもしれない。しかし夕方の六時あたりというのは、年齢別在宅率が大きく変動する時刻である。当時は学習塾や稽古ごとに通う子供たちの人口が増加していた時期であった。中高生の視聴者には部活動というものもある。かつてのように放課後が、戦隊の視聴者層にとっては自由に使える時間帯ではなくなっていたまさにその時代に、放映時間が三十分早くなったことが、視聴率に大きな打撃を与えることを予想できなかったとは考えられない。
さらに付け加えると、移動当初はフジテレビの『らんま1/2』の他に、日本テレビの『昆虫物語 みなしごハッチ』(リメイク版)が裏番組として控えていた。その後もこの二つの局は戦隊シリーズの裏でアニメを放送することが多かった。
この1989年の時間帯移動。これを「降格」なのかと言われれば、確かにそうであろう。土曜よりも金曜のほうが戦隊を放映する時間帯としてふさわしいという判断に基いて、などと書いてある資料もあるが、まあ確かに表立って「降格」なんて口にできることではない。テレビ朝日としてはこの時間帯に報道番組を強化したいという思惑があった。当時戦隊シリーズの人気が下降傾向にあったのは事実であるし、それをより視聴率のとりにくい時間帯へと移動させ、さらなる人気低下を招いたとしても別に構わない、というスタンスであったことは間違いない。
ただ、打ち切りにしたいとまでは思わなかったというのも事実である。実際、その後戦隊シリーズは視聴率を落としつつも続いた。つまりこれは1989年の時点では充分に余力があったということをも意味する。これを「シリーズ存続の危機」と呼ぶのはいささか無理がある。
『ターボレンジャー』といえば、その第一話「10大戦隊集合 頼むぞ!ターボレンジャー」が有名である。歴代戦隊を紹介するという企画は、テレビ放映においてこれが初めてである(ちなみにここでは『バトルフィーバーJ』を戦隊シリーズ第一作とし、ターボレンジャーが第十一代目の戦隊である)。十年間も人気番組を送り続けてきた、このことは確かに快挙ではある。ではさらに二十年目に向けて頑張ろうと、気勢が上がったかというと、別にそうでもない。十年も続けただけで奇跡なのに、二十年など高望みに過ぎる。達成感が生じて、そろそろ終わってもいいんじゃないかという雰囲気も漂っていた。このへんの感覚も、今となっては随分と分かりづらいものになっている。なにしろ、我々は既にスーパー戦隊シリーズが四十年近く続くことを知ってしまっているのだから。
東映としてはどうだったのか。
当時東映特撮においては、三つの動きが同時進行していた。一つ目は『ターボレンジャー』の時間帯移動、これについては既に述べた。二つ目は1989年9月『仮面ライダーBLACK RX』が終了し、仮面ライダーシリーズが三度目の中断期間に突入したこと。三つ目は翌年2月に、それまでずっと単体ヒーロー物を送り続けてきたメタルヒーローシリーズが、初めて集団ヒーロー物に手を染めたことである(第9作『特警ウインスペクター』)。
『ウインスペクター』は赤・青(緑?)・黄の三色で分けられた集団ヒーロー物であり、一目見には戦隊シリーズとよく似ている。つまり戦隊シリーズを打ち切りにし、その入れ替わりでメタルヒーローシリーズを集団ヒーロー物にする予定だったのだ、という推理の成り立つ余地がある。
だが、所詮それも推測の域を出るものではない。メタルヒーローシリーズが単体ヒーロー物にこだわり続ける必要があったのは、その起源にさかのぼる。1981年9月に『仮面ライダースーパー1』が終了、昭和第二期が打ち切られた際、「一人で戦うヒーローはどうしても必要」と考えた東映特撮が総力を挙げて作ったのが『宇宙刑事ギャバン』(1982年)である。それが好評を博し、後番組を作り続けているうちにシリーズ化したのがメタルヒーローシリーズである。
その仮面ライダーシリーズが1987年10月に復活。二年間続けて評判はよく、三作目の企画もかなり詰められていた。もし仮面ライダーシリーズを続けるのであれば、メタルヒーローが単体であることに固執する必要はなくなる。
つまり長らく戦隊とメタルで単体1・集団1でやってきた。ライダーが復活して単体2・集団1になった。それを単体1・集団2に再編しようとしただけではないだろうか。もしそうなっていれば、「メタルがあるから戦隊は中断してもいいんじゃないの?」といったような動きにつながる可能性はあった。ところが中断になったのはライダーだった。こうなると戦隊は続けないわけにはいかない。単体0・集団2になってしまったことは誤算だっただろうが、これは結果論である。これが将来に火種を残す(詳しくは次節で)。
しかしなぜライダーシリーズが中断になったのだろうか。いろいろ複雑な理由があったことは想像はつく。確実に言えることは一つ。人気はあり、続けようと思えば続けられたのをあえて終わらせたということは、東映としても戦隊・メタルの二シリーズ体制を続けていくことに、確かな自信を持っていたということである。戦隊が存亡の危機であれば、そんな決断は下せないだろう。
つまり結論としては、テレビ朝日としても東映としても、戦隊シリーズを終わらせようと思っていたわけではないが、終わらせることも選択肢の一つに入れようと考えていた、その時期は『ターボレンジャー』が終了した1990年2月であった。ただし、これを「危機」と呼ぶのは大げさに過ぎる。
『ターボレンジャー』や、その翌年の『地球戦隊ファイブマン』(1990年)の頃、スーパー戦隊シリーズがマンネリの極みにあったと信じている人は多い。
確かに当時戦隊シリーズの視聴率は低落傾向にあった。だが人気も低落傾向にあったと速断していいものかどうか。1980年代後半というのは、二つの電化製品が家庭に普及し始めた時期である。一つはビデオデッキ、もうひとつはファミリーコンピューターである。
テレビ番組を録画しておいて、あとで自分の好きな時に見られるなど、当時の人々にとってはまさに夢の機械の出現であった。その衝撃も、今となってはなかなか分かりにくいものとなっている。また家庭用ゲーム機の普及もまた、子供たちの遊びの概念を一変させたと言われている。この二つが、具体的に何ポイント当時の子供番組の視聴率を下げたかについては、詳しく調べてみたことがないのでよく分からないが、戦隊シリーズだって影響を受けていないわけがないのであって、とにかく気軽に低迷期などと言うべきではないだろう。
当時の戦隊シリーズを、とにかく悪いイメージで語ろうとする人たちがよく利用するのが、脚本家の曽田博久氏が九年連続してメインを務めたという事実である。九年も続けたくらいだから、当然戦隊はマンネリ期だったに違いないというわけである。
話が逆だろう。九年も続けてメインを務めたのは、それだけの実力があったからである。まさか、曽田氏が自分の地位が脅かされることを恐れ、裏から手を回して新しい才能が台頭するのを妨害していたとでも思っているのだろうか。変なドラマの見過ぎである。
こういう妙な噂を見ていると、どうもこれは『鳥人戦隊ジェットマン』(1991年)を「戦隊シリーズの危機を救った救世主」として神格化するために生まれた神話ではないかという感じがする。
絶体絶命の大ピンチに追いつめられたヒーローによる、起死回生の一発逆転劇。戦隊シリーズによくある話である。それと同じようなことが、戦隊シリーズの歴史においてもあったと思い込んでいるのではないか。だがフィクションと現実を混同してはいけない。
それまで下がり続いていた戦隊シリーズの視聴率が、『ジェットマン』で久方ぶりに上がったというのは事実である。ところが、最初の前期後期に分けたグラフをじっくり見れば分かるように、『ファイブマン』の視聴率も悪いわけではない。前期の視聴率は前年とと比較することはできない。時間帯が違うから。後期の視聴率は、前年に比べて上がっている。こうなると、不人気作というのも単なるレッテル貼りではないかという気がしてくる。
戦隊シリーズでは三度の時間帯変更があったが、二年目に突入したあたりから高くなるという点では三度とも共通している。つまりこれは生活習慣の定着という問題が関係しているのであろう。移動した直後には、うっかり見忘れるということも多いのである。『ジェットマン』が視聴率を上げたのは確かに見事であるが、「時間帯移動による一時的に視聴率の低下、そこからの回復」という効果もあずかっていたことを、念頭に置く必要はある。
『ジェットマン』が戦隊シリーズに革新をもたらした、意欲的な作品であるということに異存のある人はおるまい。だがそれを乾坤一擲の賭けであるかのように言うのは明らかに誇張である。それまでの子供番組としてのお約束事を捨て、大人っぽい雰囲気を大胆に持ち込んだのは、あくまでも緻密な計算に裏打ちされたものである。
当時、戦隊シリーズは『らんま1/2』と競合関係にあったことは先に触れた。『ファイブマン』の最高視聴率は1990年9月28日の13.3%だが、これは一話前(7.0)、一話後(7.8)の倍近い。何があったかというと、『らんま1/2』が休みだったのである。それが『ジェットマン』になると、これほどではなくなる。『らんま1/2』との競合を避けたいという思惑があったのは確実なところで、ここらへんで高年齢層を狙った作風にしようと判断したのは、むしろ順当と言っていいくらいのものである。もちろん、その狙い通りの作品を本当に作ったということについては、大いに賞賛に値する。
後年になって、東映のプロデューサーの人たちが、『ジェットマン』を名作のように言ったりしているのを見ると、どうにも苛立たしい気分に襲われる。立役者であったメイン脚本家の井上敏樹氏は一年で交代、これは当時としては異例のことである。そして以後二度と戦隊シリーズのメインを務めることはなかった。『ジェットマン』によって開拓されたさまざまな新境地は、翌年の『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(1992年)ではことごとく放棄され、結局また子供っぽい作風に戻る。当時の東映が、『ジェットマン』を名作ともなんとも思っていなかったのは明らかであるし、当然シリーズの危機を救った救世主などであるはずがない。
『ジェットマン』は確かに革命的な作品であった。だがそれは明らかに、いい作品を作りたいという情熱、成功に対する冷静な計算、スタッフの才能、さらに運、そういった要素がからみあった結果である。にもかかわらず、とにかく変わったことをしさえすれば戦隊シリーズの歴史に名前を残せるらしいなどという、変な勘違いをする人たちをも生んだ。地球の平和を守ることなど放ったらかしに、年中痴話喧嘩ばかりやっていた戦隊などというイメージを、『ジェットマン』に対して抱いている人を何度見たことか分からない。
『ファイブマン』が戦隊シリーズを打ち切り寸前にまで追いやり、それを『ジェットマン』救ったなどという誤解は、『ファイブマン』にとって迷惑なのは言うまでもないが、変なイメージを持たせられている『ジェットマン』にとってもまた随分と不幸なことなのではないか。
2.戦隊シリーズ日曜早朝への移行と1997年体制の確立
「日曜の朝の子供番組」。近年これほど急激にイメージの変化した言葉もそうそうあるまい。昔は日曜の朝なんて子供は寝ているものであって、子供番組の放映には不向きな時間帯だと思われていた。放映されることがあったのは、人気がとれそうにないと判断され、夕方に枠がもらえなかったアニメだけ。要するに二軍である。『ドラえもん』もここで人気が出、夕方に「昇格」していったのである。
ところが今では「子供番組のゴールデンタイム」と呼ぶ人もいるほどだ。
もちろん寝ている子もいるだろう。しかし寝ている大人はそれ以上に多い。「大人は寝ていて子供は起きている」という時間帯こそが、チャンネル争いにおいて子供番組がもっとも有利な戦いを展開できる場である。その中でも戦隊が入った七時台後半というのは、朝起きて、朝食までの待ち時間、あるいは朝食を食べながらの視聴か。子供にとっては特に他に何かをしなければならないこともない。学習塾だの稽古ごとだのに通う子供が増え、夕方の五時六時といった時間帯が子供にとっての自由時間でなくなった時代において、この有利さは計り知れない。
この時間帯に、東映制作のアニメや特撮ががっちりと食い込むことができたのも、先見の明があったからである。平山亨『東映ヒーロー名人列伝』という本によれば、日曜の朝に子供番組の枠を開拓することの重要性にいち早く気づいた者が、尖兵として送り出したのが不思議コメディーシリーズである(フジテレビ、1981-93)。そしてその後も着々と、東映制作のアニメや特撮がこの時間帯に集められてきた。
1987年10月にはメタルヒーローシリーズの第六作『超人機メタルダー』が移動して視聴率を上げる。そして1997年4月、『電磁戦隊メガレンジャー』の第8話から、戦隊シリーズもまたその列に加わることになった。ここに移りさえすれば、低迷していた戦隊シリーズの視聴率は一挙に回復するはずだと思われていた。結果、実際にその通りになった。日曜の朝に東映特撮が連続して一時間放映されるという体制はこの年に確立し、そして現在に至るのである。
この『メガレンジャー』の移動、これをいまだに「左遷」とか「島流し」とかいうイメージでしか捉えられない人たちがいる。時代の変化から完全に取り残された人たちに対しては、同情の念を禁じえない。
1989年は、明らかに視聴率のとりにくい時間帯への「降格」であった。それが今度はとりやすい時間帯への移動である。戦隊シリーズをもっと続けたいという、送り手の側の意志の現れであり、「左遷」などとんでもない言いがかりといえる。それにしてもこの間に、どんな意識の変革があったのだろうか?
一つは、やはり二十作目に手が届きそうになったことであろう。1989年の時点では、二十作目など荒唐無稽な目標としか思われなかった。そしてもう一つ考えられるのは、1993年の『パワーレンジャー』の大成功である。東映社内においても「ジャリ番」として軽く見られていたのが、これを機に社内の雰囲気が変わった、ということを語っている人は多い(例として吉川進「特撮戦隊 私が生みの親」、『日本経済新聞』2010.8.25)。莫大な利益を社にもたらした、というのもあるが、やはり日本人にとって「アメリカで成功した」という事実が持つ重みは別格のものと思える。これも敗戦コンプレックスの現れなのだろうか。それまでもアジアや欧州や南米で、人気を博してはいたのだが。
疑問に思うべきは、なぜもっと早く移動しなかったのかである。もちろん、日曜の朝へ移ることを「島流し」と見なすような心理的抵抗というものあったであろうが、他に考えられる理由が二つある。
問題の一つは、すっかり集団ヒーロー路線が定着してしまったメタルヒーローシリーズとの兼ね合いである。戦隊シリーズまで日曜早朝に来られると、似たような番組が二つ続くことになってしまう。1997年の戦隊移行と同時に、メタルヒーローシリーズが『ビーロボ カブタック』でコメディー路線へと大きく路線変更したことは、このことを裏付ける。もっとも、別に時間帯の変更がなくても、戦隊とメタルの差別化が難しくなっていたという状況は、いずれは片をつけなくてはならない問題ではあった。皮肉なことに『ウインスペクター』のヒットがかえって仇になったといえる。
もう一つ考えられるのは、スポンサーであるバンダイの意向である。1993年4月から、金曜五時台前半でガンダムシリーズが始まっていた。バンダイにしてみれば、自社がスポンサーを務める、タイプの異なる二つの番組が、同じテレビ局で続けて放映されるのは都合のいいことであっただろう。1996年10月にガンダムが移動、おそらくこの時点で、翌年に戦隊を日曜早朝へ移動させるのも決まったに違いない。
さて、この時期の「戦隊シリーズを打ち切り寸前に追い込んだ不人気作」という濡れ衣を着せられているのは、年間最低視聴率を当時更新した『超力戦隊オーレンジャー』(1995年)かというと、そうではなく、なぜかその一つ後の『激走戦隊カーレンジャー』(1996年)である。
しかも、そういう主張をやっているのが他ならぬ『カーレンジャー』のファンなのであるというのが奇妙である。
その第25話が戦隊シリーズの全エピソードの中でもっとも低い視聴率1.4%を記録した、というのがその主張の根拠になっている。しかし数字をそういうふうに扱ってはいけない。
作品の人気を論じる上で、一話の視聴率の数字を云々しても何にもならない。視聴率というものは標本抽出調査である。当然誤差がある。季節、天気、あるいは他の局が特別番組を作ったりすることによっても左右される。
ただそれも一年間の平均をとれば、そのような外部の影響もならされ、番組の人気を測るための有効な指標になりうる。あるいはクールごとの推移とか。最高値や最低値を見てはならない。こんなことは視聴率の見方の初歩の初歩である。
その、最低視聴率を記録した第25話が、「ナゾナゾ割り込み娘!」であったことが余計に話を厄介にしているらしい。ゾクレンジャーという戦隊のセルフパロディが登場し、「五対一は卑怯」と言わせるなどいささか悪ノリの目立つ回である。それが「作り手のオタク心が視聴者を置き去りにして暴走し、それが視聴率の低下を招いたのだ」という物語を形成する。反論するのは簡単である。視聴者にとって、第25話がどんな話なのかを知ることができるのは、第25話を見終わった後のことだ。第25話の視聴率が、第25話の内容を反映したものであるわけがない。
この1.4%という数字もいわゆる「夏枯れ」の結果だろう。夏の夕方五時半なんて陽はまだ高い。子供たちは外で遊びに夢中になり、気がついたら番組は終わっていた、などということがよくあるのだ。夕方に放映していた頃は、この夏枯れには作っている方も頭を悩ませていた。普段は一話完結なのが、夏ごろになると連続話が増えたりするのはその対策である。日曜朝に移動になってからも夏枯れはあるが、影響はずっと小さくなった。
『カーレンジャー』もまた「異色作」であることが強調される作品である。だが、本当にそれほど異色作なのだろうか。たとえばある「と学会」メンバーの一人は、ギャグだから異色作だと書いていた。戦隊ではギャグなんか珍しくもなんともない。第一作の『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975年)からしてギャグがふんだんに入っていたということすら知らない人に、文化人など名乗らせないでほしいのである。オタク文化人とか評論家とか言われている連中には、自分の好きな作品が、世間では不評であることを望む人が多い。自分がエリートであるという気分にひたれるからである。単なる不人気作ではなく、不人気過ぎて戦隊シリーズを日曜早朝に島流しにしてしまうほどの作品だったということになれば、なお都合がいい。『カーレンジャー』にとっては、いい迷惑である。
プロデューサーの高寺成紀(現・重徳)氏とメインライターの浦沢義雄氏は、二人とも強烈な個性を売りにしている人である。あまりに個性が強すぎて大衆受けせず、戦隊シリーズを打ち切り寸前に追い込んだということになれば、それは彼らにとって勲章になるに違いない、などと勝手に思っているのかもしれない。そういうのを「ひいきの引き倒し」と言うのである。
商業作品としての枠を遵守しつつ、自分のカラーを出す、というのがプロの仕事というものであって、好き勝手やった結果が個性的だとほめたたえられるのはアマチュアだけである。人様からお金を預かって作品を作る人間のやることでは決してない。
1997年に日曜早朝に移行してからの数年間の視聴率は、順調そのものであった。
だがそれも長くは続かない。日曜の朝は子供番組にとって意外と有利だということが、ライバル局にも知れ渡ってしまったからである。
『サザエさん』や『ドラえもん』のような、大人も子供も見るアニメなら、ゴールデンタイムで放映する意義はある。しかし子供だけをターゲットに絞った番組にとっては、「ゴールデン」という言葉の価値はもはや失せた。そして各テレビ局のアニメや子供向けバラエティ番組が、続々と日曜朝へ移動を開始した。
戦隊の裏でも、他局がディズニー関連の番組を短期間放映することがあったりしたが、本格的な対抗馬の登場は2006年10月。テレビ東京の『ポケモン☆サンデー』である。
正確に言うと、それまで八時開始だったものが時間枠を拡大し、七時半から開始となったのである(その後『ポケモンスマッシュ!』『ポケモンゲット☆TV』と番組名を変えながら続き、現在に至る)。
ポケモンをテーマにしたバラエティ番組。テレビ東京としてもどれほど力を注ぐつもりであったのか、よく分からない。しかし2006年前後の視聴率を比較してみれば、戦隊シリーズの受けた影響は明らかである(ちなみに『ポケサン』『ポケスマ』の視聴率は、七時半から八時半までの平均である。前半だけの視聴率は、どうにかして手に入れられないものだろうか)。
といっても、ここが戦隊シリーズにとって最も有利な時間帯であるという事実には変わりはない。これ以上早まれば子供も寝ている、遅くなれば大人が起き出す。ライバル局のコンテンツも手強い。ここから再び移動する先はない。この時間帯で戦隊シリーズが放映されなくなる時は、打ち切られるときであろう。
『ポケモン』が来た時に下がり、そしてその後もなお戦隊の視聴率は下降傾向に歯止めがかからない。作品ごとの年平均視聴率も、ついに平日夕方時代を下回った。戦隊シリーズは今度こそ本当に打ち切りの危機を迎えているのであろうか。
そうではない。戦隊シリーズの未来を案ずる者にとって、視聴率の低下そのものは大した問題ではない。問題なのは、視聴率の低下に伴って蔓延するようになった「視聴率不要論」の方である。
それはどういうことか。
3.視聴率は本当に不要か
視聴率というと、すべてのテレビ番組にとって、その価値を測る唯一絶対の指標のように思われている。視聴率以外に番組の質を測る具体的な指標が存在しない以上、仕方のないことではあるのだが。ただしその中で、特撮番組は事情が若干異なっている。普通のドラマに比べて制作費が高くつくがゆえに、それをキャラクタービジネスで補うという体制が早くから確立されてきたからである。番組の評価で最も重要な指標になるのは、視聴率ではなくてグッズの売上高である。
戦隊シリーズにおいては、その圧倒的大部分を占めるのは玩具であり、その中でも主力は巨大ロボである。スポンサーである玩具会社(戦隊の場合はバンダイ)にしてみれば、きちんと子供に受ける作品を作り続けるように、制作の現場に対して常に監視の目を光らせておく必要がある。そうでないと彼らはすぐに子供を置き去りにして、「大人の鑑賞に堪える高尚な文芸作品」作りに走ってしまうからである。
ただしバンダイとて金の亡者ではない。玩具売上げが不振であれば、口やかましく干渉もしようが、ノルマをクリアしさえすれば、あとは自由に作ってよいというスタンスをとり続けてきた。
視聴率とグッズの売上高は無関係ではない。売上高は、視聴者数と、一人あたりの購入金額の掛け算で決まる。番組を見る人間が多ければ多いほど好ましいのは言うまでもない。もちろん中には番組は見るが玩具には興味はないという人もいる。だからといって見るなというわけにもいかない。こういう商売は、裾野がなければ成立しないからである。
スーパー戦隊シリーズがかくも長きにわたって続くことができたのは、時流に対して常に敏感であり続けてきたからである。子供の嗜好も常に変化する。去年うまくいったことが、今年うまくいくとも限らない。毎年同じことをしていれば、確実に視聴者は減る。常に新しいことにチャレンジし、試行錯誤の精神を持ち続けなければならない。その過程で、おもちゃに興味はないという人だって引き寄せられるだろう。悪いことではない。その人達も、いずれはビジネスターゲットへと成長する可能性があるからだ。
たとえば1980年代には、戦隊シリーズは子供番組であることに軸足を置きながら、中高生や女性を取り込み、視聴層を拡大していった。もちろん彼らは玩具なんか買わないから、目先の利益にはつながらない。しかしそのような姿勢を持ち続けたというそのこと自体が、戦隊シリーズの財産となり、未来への贈り物になったのである。
そしてそれを制作スタッフは「視聴率」という形で実感することができた。
ただ、これは本業が好調であったがために、短期的利益には直結しないが長期的利益につながる可能性があることに対して投資する余裕があった、というだけのことであったのかもしれない。本業が不調に陥れば、即座に切られることにもなる。どんな分野のビジネスでも、よくある話ではあるが。
戦隊の現在の視聴率は1970年代、80年代に比べて随分と落ちている。これは、戦隊が昔に比べて面白くなくなり、人気が落ちたからだ、と一概に言い切ることはできない。
視聴率が下がった原因はいろいろ考えられる。まずは録画視聴の問題。他にDVDやインターネット配信を通じた視聴もある。これらは単に視聴率に計測されない形態で番組を試聴しているだけであるから、心配するには及ばない。
やはり大きいのは娯楽の多様化と少子化であろう。80年代に急速に普及したファミコン、そしてそれに続く家庭用電子ゲーム機。レンタルビデオにテレビの多チャンネル化。子供を取り巻く娯楽の数が増えれば、一人の子供の心の中に占める、特撮ヒーロー物の割合が減るのは当然であろう。さらに子供の数自体が、現在進行形で減っている。
玩具の売上だって、減るのが当然なのである。ところが企業というものは、成長主義に反するような理屈はなかなか通用しない。番組を見ている人間が減っているにもかかわらず、売り上げを維持しなければならない、となればやることは一つ、一人あたりが費やす金額を増やすことである。あれ欲しい、これ欲しいという欲望を、視聴者に向かってより強く起こさせる必要がある。そしてそのためのノウハウはある。
つまり、どのような商品を出せば、子供たちの物欲を刺激できるかという問題が先にあり、ストーリーはそれに沿って作られることになる。次から次へと絶えず新しいアイテムが劇中に登場し、それを使ってヒーローがパワーアップする。そういう話が好きという人にとっては別に何も問題はない。だが、そうでない人は視聴から離脱する。毎年同じような話になるから、飽きられるのも早くなる。昔は小学校低学年も視聴層であったが、今では進学を機会に卒業する子供が多い。そして視聴率はさらに下がる。
実際、視聴率が下がる一方なのに対して、おもちゃの方はどんどん出来が良くなりギミックにも凝り、高額化している。そして商品点数もまた以前に比べて圧倒的に増えている。
もちろんクリエイターとしては、自分の作った作品を、できるだけ多くの人たちに見てもらいたいという欲望はある。ところがそれは簡単ではない。マニュアルに頼ってヒット作を生むことなどできないのである。それに対して物欲を刺激するほうは比較的たやすい。たいていの企業にはそういったノウハウは貯めこまれているからだ。視聴率がこれほど軽視される時代もなかったであろう。だが、特撮雑誌のインタビューなどでプロデューサーの口から「視聴率の低下などまったく心配していない」という言葉が飛び交うようになったとなれば、これは問題を感じないわけにはいかない。
無論、こういう傾向は昔からあることはあった。だが、さすがに「視聴率なんかどうでもいい」などという発言が聞かれることまではなかった。そもそも、スポンサーの指示に従って、次から次へと新しいメカやロボを出すだけの番組なんて、作っている方としても何が楽しいのか。そこまでして延命することはないのである。さっさと終わりにして、新しく別の番組を始めたほうがいい。昔はそうしていた。だが、今はそれも難しい。年間百億の売り上げをコンスタントに叩き出すコンテンツの代わりなど、そう簡単に見つかるものではないからだ。
こういうビジネスモデルは永久に続くものではない。一人あたりの購入金額を増やすといったところで、やはり限度というものがある。ただ玩具に金を出させることしか考えずに作られた番組など、親が子供に見せたがるものか。子供を楽しませ、またそれほど金を要求してこないコンテンツは他にもある。いずれ頭打ちになる時は来る。その時一体どうするのか。
たとえて言えば、先祖代々受け継いだ畑は毎年耕せる面積が減っている、なのに新しく土地を開墾しようと努力する気もない。そして今までやらなかったような無理な連作を続けて収穫高だけは維持している。単位面積当たりの生産量は史上最高だなどとうそぶく一方で、地力は低下する一方。
これが戦隊シリーズの現状である。
「大いなるマンネリ」などと言われ続けながら、スーパー戦隊シリーズがこれほど長く続いてきたのはなぜか。子供たちがどんなヒーローに憧れや共感を持つのか、常にアンテナを高く伸ばし、それに応えてきたからである。自分たちの作品をできるだけ多くの人達に見てもらいたい、そして楽しんでもらいたいと思って多くのスタッフは力を合わせてやってきた。視聴率は確かに一番重要な指標ではない、だが視聴率を無価値と言ってしまった時点で、戦隊シリーズは打ち切り向かって足を踏み出したのである。
ただ、東映やテレビ朝日にも、こういうやり方に対して疑問がないわけではないらしい。2011年あたりから、視聴率を気にするような態度も目につき始めた。早起きプレゼントだの、Cパートだの(もっともそんな小手先の手段で数字が上がっても仕方ないのだが……)。プロデューサーなども、相も変わらず無邪気におもちゃの売上高を勝ち誇るような発言が多い中、新しい視聴層を開拓したいという意欲を見せる発言もポツポツ見られるようになった。
もっともその成果は見えていない。依然として視聴率は下降の一途である。はたしてこの意欲は実を結ぶのだろうか。