特撮ヒロインの女性学

(最終更新 2008.1.1)

(戦隊ヒロイン一人一人の魅力についてつっこんだ考察は「戦隊ヒロイン列伝」に譲り、戦隊ヒロインの歴史の流れ、およびその中での各人の位置づけについてはこの項で行なう。ただし今のところ整理しきれなくて記述が重複しているところがあるかもしれない。)

 「なんで特撮ヒーロー番組なんかに、こんなかわいい女の子が出てるの!?
 1982年。『大戦隊ゴーグルファイブ』のヒロインとして、ゴーグルピンク・桃園ミキが登場したときに視聴者が抱いた衝撃は、正直言ってそのようなものだった。
 これが主人公の恋人だとか同僚だとかいうのであれば、まだ理解できた。しかし彼女は戦士なのである。人類の運命を背負って、残虐で凶暴な敵と命がけで戦わねばならないというのに、なんでもっと立派な体格をした、頑丈そうな女の人でないのかと、誰もが思った。
 大きな瞳をした可憐な顔立ちも、ひょろっとした華奢な体つきも、「女戦士」の人選として、これほど非常識なものはありえなかった。
 もっともそれと同時に、人々の命を守るために悪と戦う戦士として、これほどふさわしい人もいないであろうと、我々は薄々感じていたのでもあったのだが。

 戦いは男の仕事であり、女の役目はそんな男に励ましを与え支えること。特撮ヒーロー番組におけるそういう常識をひっくり返したのが、1975年に始まったスーパー戦隊シリーズである。男と対等同格の地位を与えられ、正義と平和を守るため戦うことを任務として背負わされたヒロインたちは、当然のごとく強くて賢そうな女性ばかりであったが、それでも長年にわたって培われてきた「女は添え物」という牢固なイメージを、完全に払拭するのは並大抵のことではなかった。
 シリーズ第6作のヒロインとして、桃園ミキが登場したのはそんな時である。
 彼女は戦士にふさわしい、特殊な才能など何一つ持ってはいなかった。そんな彼女が、仲間の男4人が束になってもかなわぬ強敵を、1人で華麗に翻弄してみせたとき、それまで戦隊ヒロインにつきまとっていた「男たちに付き従う五番目の戦士」というイメージは完全に過去のものになってしまったのだった。そしてたまたまブラウン管の前にいた視聴者は、そんな彼女の活躍にすっかり心を奪われ、目を離せなくなってしまっていた。
 彼女の人気の急騰ぶりは、関係者の思惑を完全に超えていた。
 今でも、過去の歴代の特撮ヒロインの写真集が時々出版されたりするが、そこに歴史の痕跡を容易に見てとることができる。1982年以前になると写真が極端に少なくなるのだ。その写真も、以前に出版物に掲載されたものとほぼ同じ構図のものばかり。つまり、当時はスチル写真を撮っておこうという発想すら、撮影の現場にはなかったのである。
 番組終了後、特撮ヒロイン本とLPレコードが一点ずつ出た。たったそれだけである。しかしこれが当時としては前代未聞の大事件であった。「オタク」などという言葉すらなく、女の子目当てに特撮ヒーロー番組を見る人間なんかが発生するなどと、それまでは誰も想像すらしていなかった時代の話である。
 今なお見ることのできる桃園ミキの写真の種類がきわめて少なく、翌年の『科学戦隊ダイナマン』の立花レイから急に増えるのは、そういう理由である。
 その後は特撮ヒロインのマーケットは芸能アイドルの一分野として、順調に拡大の一途をたどっていった。今やオーディションは何万倍という難関である。突破すれば一躍メディアの注目の的となり、CDや写真集が何万部と市場に並ぶ。「女優」として幅広く活動する者も何人か輩出した。
 特撮ヒーロー番組は今も昔も子供たちに大きな影響を持っているメディアであり、今まで数多くの作品が作られてきた。その中でもスーパー戦隊シリーズは、この分野において最も大きな成功を収めたと言ってよかろう。1975年の開始以来30以上の作品を、ほとんど中断期間をおかずに送り続け、高年齢層にも支持を広げることに成功し、今や海外にも大きな市場を持っている。女性登場人物の魅力という点で、他を圧倒的に引き離したことが、この成功の秘訣の一つであったことを疑う者はいない。
 最近、テレビ番組やマンガといった大衆娯楽作品に対して社会学的見地から考察を加えるといった本が出版されることがある。なまじフィールドワークなんかに精を出すよりも、その方が大衆の意識、大衆が何を好むかについて正確に把握することができるという考えに基づくものであり、なかには優れた研究もあることはある。この戦隊シリーズについては、しかし、まともな分析を加えた本を見たことがない。
 「戦いは男の仕事」という伝統的価値観を墨守しているヒーロー物の世界において、男と対等に戦うヒロインを登場させる戦隊シリーズは、今なお異端視する人は多い。そのようなシリーズが圧倒的な人気を誇っていることについて、保守主義の陣営が快く思わないのは当然として、フェミニズム陣営もやはり快く思っていないらしい。彼らの理論では、この社会は男性支配の論理によって貫徹されているということにしておかないと都合が悪いらしく、だから戦隊シリーズのヒロインたちが男たちと対等に戦う仲間でもあるという点についてはひたすら目をつむる。そして所詮彼女たちも仲間から女という役割を押しつけられているのだと、そういう面を殊更に強調する。(*1)
 戦隊ヒロイン第6代目、桃園ミキ。史上最も「女らしい」魅力にあふれていた彼女によって、最も「男らしい」活躍をする道が切り開かれたことについて、ファンは、それを別に逆説的だとか矛盾だとか感じはしなかった。それは、とても自然なことに思えたのだった。
 彼らは一体何を見ていたのか。
 別にオタクとしての慧眼が、他の人には見えない事実を彼らに見せていたわけではない。
 それは単に、保守派だろうがフェミニストだろうが、さかしらな理屈をふりかざす連中が必死になって目をそらそうとしていたもの、見て見ぬふりをしようとしていたものに過ぎなかったのだから。

本文で言及のあるヒロイン
 特撮・実写その他
1964『サイボーグ009』
 フランソワーズ・アルヌール/003
1966『ウルトラマン』
 フジ・アキコ
1967『ウルトラセブン』
 友里アンヌ
1971『仮面ライダー』
 緑川ルリ子
1972『ウルトラマンA』
 南夕子/ウルトラマンA(半)
『ベルサイユのばら』
 オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ
『科学忍者隊ガッチャマン』
 白鳥のジュン/G-3号
『マジンガーZ』
 弓さやか
1973『仮面ライダーV3』
 珠純子
『キューティーハニー』
 如月ハニー/キューティーハニー
1975『仮面ライダーストロンガー』
 岬ユリ子/電波人間タックル
『秘密戦隊ゴレンジャー』
 ペギー松山/モモレンジャー
1976『ザ・カゲスター』
 風村鈴子/ベルスター
『超電磁ロボ コン・バトラーV』
 南原ちずる
1977『ジャッカー電撃隊』
 カレン水木/ハートクイン
1979『バトルフィーバーJ』
 ダイアン・マーチン/ミスアメリカ
 汀マリア/ミスアメリカ
1980『電子戦隊デンジマン』
 桃井あきら/デンジピンク
1983『北斗の拳』
 マミヤ